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 今から二十六、七年前、私は『私、プロレスの味方です』という本を書いた。これが、私のデビュー作みたいなものなのだが、「同じ味を共にすること=味方」という気分をこのタイトルに込めたつもりだった。自分が何かに心を惹かれたとき、同じような気持をもつ相手を求めたいという心根が、私の中にあるのだろう。そして、あまり世間に広く認められにくい味ならば、なおさらその思いが強まってくるのだ。 厳冬の季節、富山市にある「弁慶」という居酒屋と小料理屋の中間のような店に入った。蟹の甲らを器にした中に蟹の身、ネギ、生玉子を混ぜ合わせたのを詰め、炭火で焼いたやつは絶品、最後に表側にも炭火を当て焼き目をつけるあたりには感服した。 隣の席の人が「げんげ鍋!」と耳慣れぬ注文をしたので、「こっちもげんげ鍋」と言ってみた。一人前用の鍋の中に白身の小魚がぶつ切りになっていて、ネギと鷹の爪があしらってあったが、醤油と酒によるまことにけっこうな薄味だった。私がうなずきながら食べていると、隣の人がちらりとこっちを見やってニヤリと笑った。おまえさんも妙なものが好きだなあ、という顔だった。さっきまでよそ者の客に対して構えていたその男の表情が、急にやわらかくなった。”味方“という言葉が頭に浮かんだのは、そのときのことだった。 げんげという魚は、シシャモ、ドジョウ、ハゼ、ゴリなどのイメージとかさなる形の小魚だが、この地方にしか生棲しないといい、何よりの特徴は魚の本体の周辺をトロリとした寒天状のヌルリとした衣がつつんでいることだった。当時は、魚屋で五百円皿にけっこうな数がならんでいる安魚だった。 この『私、プロレスの味方です』が売れたのを端緒に物書きとしてのデビューとなったのだから、私はげんげには足を向けて寝られない。表面にヌルリとした膜を張って正体を隠すところがプロレス的であり、私はげんげに「幻の花」という意味で「幻花」という漢字を思いかさねたものだった。 ところがこのげんげなる魚、その後は土地の名物となってかなり高価になった。先ごろ築地の市場へ行ったら、げんげの生干しの干物というやつがならんでいた。三十年近い歳月の中で、げんげもえらく出世したものである。げんげとプロレス食のかたち3文 村松友視076 dancyu gift

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